トウカイタンポポ(Taraxcum platycarpum var.longeappendiculatum)は静岡県を中心とした東海地方に分布するタンポポで、総苞外片が長く、先端の明瞭な角状突起が特徴です。

総苞長は花時 7--20 mm。頭花は直径3.5--4 cmで小花数90--140(平均120). 外総苞片は密着またはしばしば開出する。内片は総苞の2/3、 角状突起は明瞭で長さ2--6 mm. 外片は線状楕円形または線状披針形で長さ 10--15 mm,幅 2--4.5 mm。花柱と柱頭は黄色もしくは灰色(Flora of Japan)
現地は安来市の中心部から南方約15キロ、鳥取との県境に近い山間部の集落で、伯太川支流の小竹川沿いに建つ赤屋村立小竹小学校(廃校時は伯太町立)の廃校舎周辺です。最初に発見した大型の株を含めて20個体以上が廃校の校庭やその周辺に自生していました。今のところこの付近以外では見つかりませんでした。


総苞の形からはケンサキタンポポ(T.ceratolepis)かロクアイタンポポ(仮称)の可能性も考えられたのですが、花粉の大きさが均一だったことから有性生殖をする2倍体のトウカイタンポポと判断しました。

また、切れ込みの少ない葉の形もトウカイタンポポの別名「ヒロハタンポポ」を思わせました。
葉は倒披針形あるいは箆(へら)状倒披針形、歯牙があるか、羽状浅裂し、はじめは有毛、のちに無毛、円頭で凸端(新日本植物誌・顕花編:至文堂)。


赤屋のトウカイタンポポはどこから来たのか?
主として東海地方に分布するトウカイタンポポが何故、本来の分布地から離れた島根の山中にあるのでしょうか。西日本タンポポ調査2010で四国の大洲市付近と鳥取県米子市の米子城跡にトウカイタンポポが自生している事がわかりました。これについては東海地方出身の大名の領地替えが関わっているのではないかと推定されています。

小竹小学校の位置する旧赤屋村の村史を図書館で調べてみたのですが、東海地方や米子城との関連を示すものは見つかりませんでした。

ただ、トウカイタンポポが校庭の桜の樹や、植え込み周辺に群生している事などから、トウカイタンポポが自生している米子城から樹木や土などに付着して持ち込まれた可能性を考えています。

いつ頃からここにあるのか
「日本産タンポポ属の2倍体と倍数体の分布」という1976年の論文で森田竜義先生は、1957年?に島根県赤屋からT.ceratolepis(ケンサキタンポポ:ブログ主註)として採集された京都大学の腊葉標本から花粉を取り出して調べたところ、大きさが均一で2倍体だったとしています。
このことから森田先生は「むしろT.longeappendiculatum(トウカイタンポポ:ブログ主註)と関係の深いものであろう」と考察されています。
60年近く前にもこの付近でトウカイタンポポが採集されていたという事になります。つまり少なくともその頃からトウカイタンポポが自生していた可能性があります。
トウカイタンポポなどの低地性2倍体在来種タンポポは自家不和合性があるために自分自身の花粉では受精できません。花粉を媒介する昆虫の行動範囲内に一定以上の個体数がないと種を作って子孫を残す事ができないのです。

この廃校周辺には20個体以上のトウカイタンポポが自生しているので、上の写真のように種を作ることができて集団を維持してきたのだと考えられます。


種から発芽して一年程度と思われる若い個体もありました。