2021年12月18日

飛梅伝説とタンポポ

東風ふかば にほひをこせよ 梅の花
   あるじなしとて 春なわすれそ


 京都から流された菅原道真を慕って、一夜にして梅の木が太宰府へ飛んで行ったとされる飛梅伝説

太宰府の飛梅(Wikipedia)


 実際のところは道真公に同行した家臣が密かに梅の苗木を持って行き、植えたのだろうという説があります。新しい土地へ赴任する時に家財はもちろんとして、庭木なども一緒に持って行くというのは、その頃からあったのかもしれません。


 ここからタンポポの話になります。
 西日本タンポポ調査などの分布調査で本来の分布区域から離れた土地に咲いているタンポポが見つかります。これは人や荷物の移動によって種などが運ばれたのだろうと考えられます。
 その一例として、東海地方に分布しているトウカイタンポポが遠く離れた鳥取県米子市や愛媛県大洲市に群生しています。これは大名が国替えの時に持って行った庭木などと一緒にタンポポの根や種が移動した可能性があります。


 当ブログ「大名の領地替えとタンポポ」でこの件について詳しく書きました。 カンサイタンポポにも同じような事例があります。カンサイタンポポは主として瀬戸内海沿岸の東部に分布していて、広島県、愛媛県以西にはあまり分布していません。ところが、広島城付近と福岡城付近に集中的に咲いていることが西日本タンポポ調査でわかりました。

 広島城の城主である浅野氏は紀伊和歌山、福岡城主の黒田氏は播州姫路の出身で、いずれもカンサイタンポポの分布域です。これも領地替えとタンポポの移動の関連が考えられます。

 大名が引っ越しの時に庭木まで持っていくのか?ということについては、まだ詳しく資料調べができていませんが、「清洲越し」と言って、名古屋城築城の折には清洲城の家臣はもちろん、神社仏閣から町人まで城下町一切を名古屋城下に移したとのことです。庭木まで移したかどうかの文献は見つけていませんが、門や建物も移築したとされていますので、可能性はあります。

 参考にと視聴した映画「引っ越し大名」には庭木まで引っ越す映像はありませんでしたが、モデルとなった松平直矩公の『松平大和守日記』には「村上より大廻舟到着、植木等来、飾万津迄上ヶ候よし也」(寛文7・7・24)との記述があり、越後村上から姫路へ国替えとなった時に植木を船で輸送したことがわかります。
 (参考文献:「松平直矩と村上」ー『松平大和守日記を読む』ー 県立新潟女子短期大学 板垣俊一)

菅原道真公と同じように愛でていた草木を新しい任地に持って行った人々はいたのでしょう。

 
別のパターンとして、
北海道松前のシロバナタンポポがあります。


 本来は西日本に分布するシロバナタンポポは最近は関東でも見られますが、東北、北海道には分布していません。ところが北海道松前町のお寺の境内に群生しているのが見られます。

 北海道のシロバナタンポポ(日本タンポポらぼ)

 松前氏は一時期陸奥国に転封されたものの、ほぼ一貫してこの地を治めていました。西日本との関連は北前船による交易があります。日本海から瀬戸内海を経由して大阪との荷物をやりとりしていました。

 その過程で西日本からシロバナタンポポが荷物と一緒に北海道へ渡ったのではないでしょうか。

タンポポと人の営みとの関わりにはロマンを感じます。


posted by しまねこ at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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