内容も良かったのですが、いろいろなところでタンポポが登場しています。

(「この世界の片隅に」製作委員会メンバーズミーティング資料パンフ画像)
キャンペーンポスターやパンフにもタンポポの花がしっかりと登場しているのですが、この黄色と白のタンポポがタンポポクラスタでちょっと盛り上がっていました。
西日本タンポポ調査のメーリングリストで、「黄色と白色のタンポポが同じ株に咲いていて、不思議」と最初に話題になりました。
それに対して、「映画の舞台が広島の呉だから、シロバナタンポポとカンサイタンポポ?」などの意見を受けて、2015年のタンポポ調査のデータを持ち出して、「呉市ではセイヨウタンポポ、アカミタンポポとその雑種、ヤマザトタンポポ、シロバナタンポポが報告されている」とか、「2010年の調査データには主人公のすずさんが住んでいた呉市長ノ木町付近でカンサイタンポポの報告があったよ」。。。等々。
タンポポ調査メーリングリストならではの議論となりました。
今では西日本でもセイヨウタンポポやその雑種の黄色いタンポポが一般的ですが、お年寄りに話を聞くと、白いタンポポが普通だったと言われるようです。自分の記憶では、1960年代の山陰地方の市街地では黄色いタンポポ(おそらくセイヨウタンポポ)が普通で、白いのは少なかったように思います。

映画の1シーンでのすずさんと周作さんの会話。
セイヨウタンポポは明治期に北海道に持ち込まれたものが全国に広がったと考えられていますので、昭和20年ごろにはすでに広島の市街地にはセイヨウタンポポが侵入していた可能性があります。しかし、すずさんの実家の江波や、呉のあたりではまだ在来種のシロバナタンポポやカンサイタンポポだったのかなあと思います。
すず「ここらのタンポポはみな白いんですね」
周作「ほうじゃが、向こうは違うんか…お?黄色いのんもあるで」
すず「あっ、摘まんでください。遠くから来とってかもしれんし…」
映画のタンポポについて、片渕監督はトークイベントで、以下のように話しています。
「映画の中でもすずさんが広島から来た黄色いタンポポで、呉の人たちは白いタンポポということを話していて、黄色いタンポポは摘まないでって言ってますね」と話し、ふわりと飛んできた種が大地に根を下ろす、コトリンゴのエンディングテーマ曲「タンポポ」につながっていると明かした。
黄色いタンポポは広島から来たすずさん=カンサイタンポポ、
白いタンポポは呉の人々=シロバナタンポポということになりますね。
白いタンポポと黄色いタンポポが寄り添って咲く様子は、この映画を象徴しているようです。
この映画製作を応援するクラウドファンディングに参加した人に、主人公のすずさんから手書きのハガキが送られてくる(という設定)のですが、そこにちゃんと白いタンポポと黄色いタンポポの両方が描かれていました。
それぞれ「白い」「のっぽ」のシロバナタンポポ、「黄い」「こまい」カンサイタンポポの特徴をとらえて書いています。総苞外片の形とか葉っぱの形とかは、タンポポマニアからすると不満が残るところではありますが。
ちなみに、一つの株に黄色い花と白い花が咲くことは実際にあります。シロバナタンポポの花の中に時折、黄色い花を咲かせるものや、カンサイタンポポなどで白い花のものが報告されていたりします。

(左:通常のシロバナタンポポ、右:黄花のシロバナタンポポ)

写真は、シロバナタンポポの花弁が一部だけ黄色くなったものです。
すずさんの時代の広島にセイヨウタンポポがあったのかどうか?片渕監督ならそこまで調べていそうですが、映画の中ではそれとはっきりわかる形ではセイヨウタンポポは登場していません。ただ、このブログの冒頭に貼り付けている画像の黄色いタンポポは総苞外片(ガクのように見える部分)が反り返って描かれています。これは在来種ではなく、外来種やその雑種の特徴です。
文献記録では牧野富太郎博士が1904年に札幌でセイヨウタンポポを確認しており、「まだ東京では本種を見ない」というのが一番古い記録のようです。
一方、「タンポポ調査西日本2010報告書」には、広島県で外来種が非常に多く見られるようになったのは1980年代頃からである。と記載されています。この間の記録を探しているのですが、見つけられていません。広島大学の植物標本目録みたいなものを探せば、いつ頃侵入したのか推定できるかもしれません。