しかし、島根県東部という限られた範囲ではありますが、長年タンポポを調べていると、どうもそれだけではないと考えるようになりました。

もちろん大部分は、風によって運ばれるのだとは思うのですが、それだけでは説明のつかないほど離れた場所にタンポポが運ばれていることがあります。
とりあえず私はタンポポの移動方法は以下の3つだと考えています。
1.風による運搬。
1、風による種の運搬。
2、水による種の運搬
3、人による種またはタンポポ本体の運搬。
これについては詳しく述べるまでもないですね。タンポポの種(痩果)はふんわりとした綿毛(冠毛)で風に乗り、親株から離れた場所へ運ばれ、地上に落ちて芽を出します。
タンポポの種を拡大してみると小さな棘が突き出していますが、これによって錨のように地面や草の根をしっかりと掴んで他の場所へ飛ばされないようになっています。


2.水による運搬。
タンポポの調査に歩いていると、同種のタンポポが思いがけず離れた場所に点在していることがあります。これについては、元々広い範囲に大きな集団を形成していたが、環境の変化(土地開発など)で分断された、と考えることもできます。
しかし、私がフィールド調査をして感じているのは、タンポポの移動には水も関係しているということです。
例えば、島根県内に分布しているヤマザトタンポポやクシバタンポポは主に標高の高い場所に分布していて、標高の低いところではあまり見られません。ところが、たまに標高の低いところに集団で咲いていることがあります。そういう場所はたいてい川や小さな水路の脇で、そのかなり上流部に同じ種類のタンポポが咲いている場所があることが多いのです。
特に島根県内のキビシロタンポポは、限られた地域に点在しているのですが、主に伯太川に沿って分布していることがわかりました。

キビシロタンポポと伯太川水系
こうしたことから、タンポポの種は風だけでなく水も利用して旅しているのでは?と考えています。
3.人による運搬。
最後は人です。
このブログでも紹介しているように、東海地方から離れて山陰の米子城跡と、四国の大洲市にトウカイタンポポが自生してることがわかりました。とても風や水で運ばれたとは思えません。タンポポそのものを人が移動させた場合や、庭木や土と一緒に運ばれたなどが考えられます。

これについては、大名の領地替えとタンポポで詳しく書きました。
カンサイタンポポが、広島城や福岡城周辺で多く見られるのも、関西地方出身の城主が関わっているとも考えられます。
また、西日本を中心として分布しているシロバナタンポポについても、近年は関東平野を北上しているという報告をブログで散見しますが、何故だか北海道の松前のお寺に自生しているそうです。
これについては、近世に西日本と北海道を結んでいた北前船が関わってるのではないかと考えております。